メモ帳

web拍手への返信用に用意しましたが、雑記としても使うかもしれません。

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前回の記事で言及した漫画の自分用設定メモ

 

新生活、あまりに忙しくてまったく絵も漫画も描けていません。

5/12のコミティアで合同創作本「三人よ噺」の最後のエピローグ本を出す予定なんですが、果たして本当に出るのかかなり危うくなってきました…

スペースは T16a です。

友人との合同サークル名義で出展しますので、私の個人誌は持って行きません。

私個人では秋のJ庭に出るはずです。そっちも新刊ちゃんと出せるのかなあ…

おつかれさまでした

J庭46おつかれさまでした。

予想以上に多くの方がスペースに足を運んでくださって嬉しいです。ありがとうございました。常に自分ひとりをターゲッティングした超スキマ産業のつもりで漫画を描いているので、自分以外の方々に興味を持っていただけるのがいつになっても驚きで嬉しくて毎度慌てています。

新刊の残部まだありますので通販は続行します。ついでに既刊の通販も再開しました。

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上の画像は無料配布ペーパー用に描いた絵にちょっと文字を加えたものです。

次のJ庭47でこういう本が出せたらいいな~!という希望です。そろそろ黒髪眼鏡が増えすぎなので封印した方がいいと思いつつ、黒髪陰キャ眼鏡という同じ属性でどれだけのバリエーションを生み出せるだろうというワクワク感が出てきてしまっているのも否めません。

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新刊の通販ページをBOOTHにて開設しました。

ta0o0o0o.booth.pm

イベント当日までにご注文頂いた分はお取り置きしておいてイベント後に発送いたします。

ピクシブアカウントをお持ちでなく、通販をご希望の方はお手数ですがサイトのお問い合わせからメールアドレスを併記してご連絡ください。自家通販でお届けします。

 

おまけ本は河野(23歳・会社員)が同僚と話したり古淵のことを思い出したりする短い漫画です。大人になった河野が少し古淵と似た雰囲気を持っていたらいいなと思います。良くも悪くも自分にとって存在感の大きすぎる人が突然いなくなってしまったあと、その穴を埋めるように雰囲気や見た目や癖がどことなく似ていく現象、好きです。

私の描く漫画は暗くて陰惨で救いがないと自分でもわかっていますし、よくそう紹介するのですが、陰惨で救いのない物語は手段であって目的ではないということをなんとなくここらで明言しておきたくなりました。特に誰からも質問とか受けてないので自己満足です。隙あらば自分語りってやつです。

伊勢物語』の中の芥川というお話、有名だとは思うのですが、簡単に紹介します。

男が身分違いの恋に落ち、三年もかけて女をなんとか攫って駆け落ちを決行します。道中、草についた露を指して女が「あれは何ですか」と問いかけても、追っ手を恐れて急いでいるので答えることもできません。そのまま、鬼が出ると噂の地域に差し掛かり、女をあばら家の中に隠して自分は外で見張りをします。しかし、あくる朝、あばら家を覗いてみると女は鬼に食われてしまって跡形もありません。男は「あれは何ですかと問われたとき、露ですよと答えて諸共に消えてしまえばよかった」と嘆きました。

坂口安吾が『文学のふるさと』でこのお話について、このむごたらしく救いのない結末にこそ我々は生存そのものがもつ孤独を見る、この孤独こそが我々のふるさとなのだというようなことを述べています。

女を思う男の情熱が激しければ激しいほど、女が鬼に食わるというむごたらしさが生きるのだし、男と女の駈落のさまが美しくせまるものであればあるほど、同様に、むごたらしさが生きるのであります。

 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

私はこのふるさと概念に近づきたいだけです。目標はそれだけです。ただこのふるさと概念、あまりに抽象的かつ内面的で、要するに物語を介さずに生み出すことのできないものなので、むごたらしいストーリーや不幸なキャラクターが必需品だという話です。

2019年1月分のお返事

> よろずリンクから来ま...さん

 サーチサイトの方からお越しいただきありがとうございます。

そう言って頂けて本当に嬉しい限りです。人間の負の感情と猟奇的な描写が三度の飯より好きな人間なので、そのあたりの表現を肯定していただけると描いてよかったなあと思います。共犯はなんとか2月中には完結させたいと思っております。

 

> アイコンメーカーがす...さん

ありがとうございます。遊んで頂けてとても嬉しいです。作った甲斐がありました。

更新が滞りがちで申し訳ありません。

いま流行りのPicrewでちょっとしたキャラクターアイコンメーカーを作ってみました。

人外パーツ多めです。

picrew.me

 

例↓

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こんな感じで私が描いたっぽいキャラクターを生み出せます。

まだ作りたてなのでパーツや色も少ないですしちょこちょこミスも見つかっているのですが、随時修正と追加を行っていきますので暇つぶしにでも遊んでいただけたら嬉しいです。

自作発言の他に禁止事項はないのでお好きなように使っていただけたらと思います。

「弦月とともに正餐を」についての話

以前、「共生を志向する知的生命体」について色々考えていたことを書いてみたらなかなか楽しかったうえ、自分が漫画で何を描きたいのか少し整理できた心地がしたので、ちょくちょくそういう文を書いていこうかなあと思います。まずは弦月で。

 

この話を描いた動機は、意図しないカニバリズムと自主嘔吐(自分で自分の口に指を突っ込んで嘔吐反射を刺激すること)の二つを織り込んだ話を描きたい!というものでした。これまで描いてきた創作BLのなかでも特に気色悪い話になったような気がするのでかなりお気に入りです。

 

お気に入りとはいえ、いま読み返してみるとわかりづらかっただろうなと思われる部分が多く、自分の技術不足を悔やむばかりなのですが、弦刻の「これでずっと一緒」は相手の胃の中に自分の肉体の一部が収まったことについてではなく、もっと抽象度の高い意味で言っています。正羽にとってこの一件は人生最大のトラウマなわけで、きっとことあるごとに思い出すはずです。食事をしたり、絵画を見たりするたびに弦刻のことを思い出すはずです。そうやって自分に繋がる記憶の引き金を正羽の人生にばら撒くことで、正羽が家に帰っても、それから二度と会いに来なくても、自分のことを繰り返し思い出さずにいられなくすることが弦刻の目的です。ある出来事が人生のターニングポイントになってその前後で価値観が大きく変わってしまっているというのは立派な呪いですよね。というわけで、これは記憶の呪いの物語(として描いたつもり)でした。

ここまで気持ち悪い方向に愛憎を拗らせたメンヘラを今後新たに生み出す自信は正直ないです。

 

この話を描くにあたって参考にした作品というものは正直ないのですが、『暗黒館の殺人』の、一夜の食事が生涯を拘束する呪いとして機能するという部分には影響を受けているかもしれません。